大学時代の友人たちと年に1度の旅行に行ってきました。
昨年は金沢観光でしたが、今年は歴史巡りをテーマにした福井観光で、旅程は以下の通りです。
ランチのあとは「平泉寺白山神社」観光です。
【1日目】
■ 旬味 泰平でランチ
■ 平泉寺白山神社
■ 清大寺(越前大仏)
■ 福井城址
■ 飲み会
【2日目】
■ 一乗谷朝倉氏遺跡博物館
■ 一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並・朝倉館跡
■ 永平寺
■ あみだそばでランチ
(1日目・その1:福井駅、旬味 泰平 からの続きです)
「平泉寺白山神社」には、「旬味 泰平」から車で50分ほどで到着。
参道から一番近い「白山平泉寺歴史探遊館まほろば」前駐車場が空いていたので、そこに車を停めてから徒歩2分くらいで境内に着きます。
「平泉寺白山神社」は1300年以上前の奈良時代に泰澄大師によって創建されたお寺(現在は神社)で、平安時代には延暦寺の庇護を受けて勢力を伸ばしていき、700年ほど前の室町時代には最盛期を迎えていますが、そのころから平泉寺内部で不和が生じ始め、1574年(安土桃山時代)には一向一揆の勢力によって全山が焼かれることになります。
その後豊臣秀吉の庇護を受けて1580年ごろには三社(本社、越南知社、別山社)・大師堂(開山堂)・納経所などが次々に再建されていき、江戸時代には白山山頂での祭礼を幕府より公認されていました。
その後明治時代に神仏分離令を受けて「平泉寺」を「白山神社」と改める旨の指令があり、現在に至ります。

まずは境内入り口になる精進坂です。
精進坂という名前の由来は、ここから先は魚類の持ち込みが禁止だったからだそうです。
すでに石段の両端に苔が生えていますね。


参道沿いの松の木がいい雰囲気です。


今から1300年以上前に発見されたこの池(泉だそうです)が平泉寺白山神社の発祥・名前の由来になったそうです。



どこかに続く階段がありますね。




1574年(天正2年)の一向一揆で全焼して建て直されたもので、江戸時代に作られた寄棟檜皮葺(よせむねひわだぶき)で平安時代の風情を残しています。
全焼する前の拝殿は、幅が46間(およそ83メートル)あったようで京都の三十三間堂より大きな建物だったそうです。

こちらの発祥が「平泉寺」だったということですね。


白山の主峰である御前峰の神である伊弉諾尊(いざなみのみこと)をお祀りしています。

大国主命(おおくにぬしのみこと)をお祀りしています。

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと、天照大神の子)をお祀りしています。



なぜこんなところに楠木正成に関係するものがあるのかと思ったらこんな理由でした。
↓
昔ここには三之宮の拝殿がありました。楠木正成の甥の恵秀律師(えりゅうりっし)がこの拝殿でお勤めをしていると楠木正成が鎧甲の武者姿で目の前に現れたので、恵秀律師が不思議に思い調べてみると、この日に正成が神戸の湊川の合戦で戦死していたことを知ります。その後恵秀律師は供養の石塔を建てました。

栲幡千々姫尊(たくはたちぢひめのみこと)という安産の神様をお祀りしています。


苔の絨毯が美しいです。


次の目的地は「清大寺(越前大仏)」です。
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